綿を育てて 紡いでいます


by wataitoya

カテゴリ:<コラム>( 6 )

c0228804_22480355.jpg画像の右側の単糸は、2008年9月、私が初めて綿工房さんのWSで紡いだ糸です。正確にはその時にいただいた練習用の綿で紡いだ糸と思われます。約半年後、2009年1月のWS参加までの間に紡いだ糸です。端糸の袋から見つけ出しました(汗)。

(画像左の双糸は、時期は不明ですが、たぶん井の頭公園に出店していた頃、5、6年前のものだと思います)


綿つむぎの会などで初めて紡ぐ人には、思い通りの糸に近づけるためには、練習あるのみだとお伝えしています。それから大事なのは、繊維が繋がっている手応え、切れる(繊維が離れる)感覚を感じること。

自転車の話もよくしています。あんな不安定なモノにまたがって倒れず走るのは、改めて考えると不思議に思いますが、自転車に乗れる人にはまったく不思議でも何でもないでしょう。倒れないスピードを体が覚えて、スピードを上げたり、足をついたり、勝手にコントロールしてくれるから。どのくらいのスピードならどのくらいの曲がり角を曲がれるか、といったことも無意識にできるようになりますよね。

自転車だけでなく、人間は様々な感覚を、数をこなすことで学習していきます。鋏や包丁でモノを切るときも、手応えを感じて力加減や切り方を変えたりします。糸を紡ぐという行為も、練習を繰り返し、その感覚を覚えるしかないのだと思います。覚えてしまえば、目を閉じていても紡げるようになります(目を閉じて試してみると、繊維の繋がっている感覚が判りやすいです)。

覚える速度は人それぞれでも、あきらめずに練習すれば、殆どの人は自転車に乗れるようになれるものですよね。たとえ紡いでいる糸が切れても、自転車でこけた時のように痛い思いをすることはありません。だから切れることを怖がらずに、思い通りの糸に近づけるように、あきらめずにたくさん綿を紡ぎましょう。





 

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by wataitoya | 2017-10-16 12:42 | <コラム> | Comments(0)
c0228804_15513144.jpg「真綿」は絹、蚕の吐く繊維が原料です。「毛糸」は羊や獣の毛を原料にした糸。植物の綿は「綿」「木綿(モメン)」というのが一般的でしょうか。

綿が好きなのは、元々植物が好きだという理由もありますが、何より自身で調達しやすいという点が気に入っています。そして、ヒトがそれほど面倒をみなくても生きていってくれるところも。

蚕も、自然で育って、孵った繭が残した繭を使う分には特にわだかまりは感じないと思います。ただ、羊も蚕も、何となく哀れが先に立って、あまり積極的に利用する気にはなれません(それでも使いますけどね(汗)。画像は結城で習った方法で真綿を引いた糸です)。






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by wataitoya | 2017-10-01 00:00 | <コラム> | Comments(0)
c0228804_16194203.jpg木ヘンの「棉」は実綿、まだ種を外していない状態。糸ヘンの「綿」は種を外した後の、繊維の状態のものという区別があるようです。

三河木綿で有名な三河地方では、「棉」はタネを除いた後まで、綿打ちという作業の後からは「綿」というとのこと(http://www.yumeoribito.jp/committee/qa.html)。

私自身、「棉」を使うときは前者の考え方に沿うよう気をつけてはいますが、特に拘りがあるわけではありません。故に、気をつけていても混在してしまうことがあります。気になる方はご指摘ください。







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by wataitoya | 2017-10-01 00:00 | <コラム> | Comments(0)
c0228804_16401300.jpgはっきりと判りませんが、4~5百年以上前に日本で根付き、受け継がれたアジア綿を和綿(又は日本綿)、それ以外を広く洋綿と区別しているようです。便宜上、私もこの用語を使用しています。

植物学上はアオイ科ワタ属。衣類に利用されているのは四種で、旧大陸起源で二倍体のヘルバケウムとアルボレウム。新大陸起源で四倍体のヒルスツムとバルバデンセ。

和綿はアルボレウム、洋綿はヒルスツムと思われます。染色体数の違いから、和綿と洋綿の間では交雑は起きないと言われています。

私が育てているのは和綿の白・茶・シソ綿、洋綿の緑・茶・赤茶です。タネの大きさ、実の大きさなど全体的に和綿より洋綿のほうが大ぶりです。生育環境は原産地と似ているほうが育ちやすいですし、収穫できる繊維も、その環境に合うような特徴があると思います。詳細は今後それぞれのページに記していきます。


<HPより転載>







 

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by wataitoya | 2017-10-01 00:00 | <コラム> | Comments(0)
通常栽培の農薬や肥料、マルチなど農業資材は、環境負荷などの見えにくいコストを考えたら決して安くはないと思います。資材の調達・製造工程でもいろいろ環境に影響を与えますし、製品運搬から、施し続けた後の土への影響まで考えたら、未来に向けて、本来どれだけのコストがかかっているのか、まったくわかりません。そんなに無駄なコストをかけてまで大量に綿を生産する必要があるのか、疑問です。

オーガニック認証されているものは別として、「オーガニック」という言葉の定義自体には曖昧な点があったりして、若干うさんくさいイメージが拭いきれません。多くの方は漠然と「オーガニック=無農薬」と思われているようですが、完全に無農薬とは限りません。オーガニック認証されているものも、規定内の肥料・農薬は使用可能だそうです。ビニールマルチも使用の制限はないようです。

それでも、通常の環境負荷の大き過ぎる大量生産の綿栽培に比べれば、まだマシなんだろうと思いたいし、オーガニックな方法が世界のスタンダードになればいいなぁとは思います。

ただ、収穫できた綿そのものに、なにか差があるのか、私にはわかりません。もし何か違いを感じるのであれば、それは紡績の仕方、加工の方法などによるのではないかと思います。私の栽培している綿も綿自体に何か特別なものがあるわけではありません。
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私の栽培している綿は、無農薬、無施肥、できるだけ耕さず、草も残して栽培しています。お金を使いたくない、無駄な労力をかけたくないと考えてのことです。また、畑にいる生き物にできるだけ影響を与えないように、できるだけ環境を変えないよう努めています。

雑草や虫や微生物を殺さずに済み、鳥の餌場にもなる畑です。収穫できる作物が、私の体によいか悪いかは判りませんが、私の心は罪悪感を感じることが少なくて済んでいます。

周りの畑の方々からの目がもう少し温かいと、もっとストレスなく過ごせるんですが(汗)、いろんな栽培方法への理解が広まるには、まだまだ時間が必要なようです。





 

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by wataitoya | 2017-10-01 00:00 | <コラム> | Comments(0)
いわゆる「在来種」という言葉の定義は曖昧で、ヒトの都合で決められていると思います。たとえば在来種の定義が「その土地で数十年生存してきた」でよければ、外来種として敵視されているものが随分減りそうです。逆に数千年と言われれば、現在いわゆる和綿といわれているものも、元々は日本に無かった、外来種だといわれてしまうかも。

綿栽培が始められた頃は、まさに外来種だったのでしょうが、当時のヒトにとって有用な綿は、現在のいわゆる外来種のような扱いは受けなかったと思います(まあ、もともと勝手に繁茂する雑草タイプの植物ではないので、有用でなくても影響はさほど大きくはならなかったと思いますが)。


様々な人の様々な価値観で定義づけられた「在来種」という言葉に、私は特に価値を見出せません。元々どこから来た種で、どの土地で何年、どのように栽培されてきたかというような、具体的な情報の方がずっと重要なのです。

私の栽培している和綿は松江の親戚から譲られたものなので元々は伯州綿と思われますが、譲り受けた時と、数年関東で栽培した後で、繊維の質が変わったように感じます。今はもう関東綿とでもいったほうがいいかもしれません。
c0228804_19222625.jpg和綿には様々な栽培地ブランドのようなものがあるようです。元々日本にやってきた少量のタネが、大島・会津・弓ヶ浜などそれぞれの土地でそれぞれの特徴を持つに至ったのか、もしくはその地域ごとに別々のルートから輸入されてきたのか、本当のところは判りません。ですが、その特徴はその土地で栽培されてきたゆえのものではないでしょうか。その特性はいまも確かに引き継がれているのでしょうか。

​守りたい品種特性があるのなら、同じ土地で、昔と同じ環境で、昔ながらの栽培方法で育てる必要があるのではないかと思います。私は実際にいくつもの和綿を育てて比べたことは無いので、特性をそのまま引き継げるのか、ある程度変化していくのか、遺伝子レベルで変化するのか、正確なことはわかりません。でも、植物は植物自身にとって都合の良いように変化していくのは確かでしょうから、私はできるだけそれに任せたいと思っています。








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by wataitoya | 2017-10-01 00:00 | <コラム> | Comments(0)